今日は、生きていたら、ロシ子ちゃんの12歳と4ヶ月の誕生記念日ということで、その日に、私の備忘録のブログを書こうと思います。
ロシ子ちゃん、今日も、良い顔をしているよ。
それにしても、つくづく、12歳と4ヶ月だったら、まだまだ、元気でいてくれててもおかしくないのに、ロシ子には、本当に申し訳ないし、悲しいし、悔しいし、残念でなりません。
さてさて、実は、先月の4/22(月)から2泊3日で、鹿児島に行って来ました。
それも、この度は、ゴルフ仲間の、もう定年なさっておられますが、大阪府警の捜査一課一筋の元刑事さんから、「日本人やったら、絶対に1回は行っておくべきや」と言われていた、知覧・万世・鹿屋の特攻隊の記念館に行くために、鹿児島に行ってきました。
私は、数年に1回は東京に行き、その度に、必ず、靖国神社に参っているのですが、この度は、特攻隊として、若くして、お国のために散って行った皆さまに、感謝の気持ちも込めて、彼の地を訪れて来ましたので、私の備忘録として、それらの写真をアップすると共に、合間、合間に、アビのすけの様子もアップしようと思います。
翌朝は、朝4時に起床しなければならず、この日は、早く寝ようと思っていたら、なんと、アビのすけが、この猫ベットで寛いでいたので、撮った写真。
アビのすけ、もう、晩の9時だから、2階に行って、一緒に寝ようか。
この顔、昔のロシ子の甘えた時の表情、ぶさかわだった表情に似てるな…、アビのすけもロシ子に似て来たのかな…、かわいい顔。
そして、旅行出発の4/22(火)の朝4時半過ぎ、アビのすけに朝ごはんを食べさせ、下で片付けをした後、アビのすけの様子を見に来たら、ベットの上で寛いでいました。
またまた、ちょっと、ぶさかわな顔。
アビのすけ、数日間のお別れだけど、元気にしておいてよ…。と言っても、年初の9泊10日の私の入院時も、アビのすけは普通に元気だったし、今回もペットシッターさんに来てもらうし、私は安心して出かけられたのです。
そして、家を朝5時前に出発し、関空8時30分発の飛行機に乗り、鹿児島空港に9時45分着、そして、知覧に向かうバスが発着する鹿児島中央駅に、午前11時前に到着。
駅前には観覧車があり、「若き薩摩の群像」を見て、知覧行きのバスの発車まで、1時間ちょっとあったので、鹿児島で有名な「豚とろ」のラーメンを食べ、少し観光に出かけました。
鹿児島中央駅から歩いて行ける甲突川沿いには、歴史ロード「維新ふるさとの道」があり、西郷隆盛や大久保利通らのゆかりの地があり、散策。
そして、川沿いから少し離れたところに、西郷さんの生誕の地もありました。
鹿児島は、幕末にせよ、大東亜戦争時にせよ、とても重要な場所が、たくさんある地です。
そして、鹿児島中央駅を昼の12時10分に発車し、一路、約1時間のバス乗車で、知覧の「特攻観音入口前」のバス停に到着。
いよいよ、本土最南端の特攻基地、知覧を巡ります。
この日はあいにくの雨…、でも、お国のために、若い命を散らせた皆さまの涙かと思うと、残念さは一つもなく、厳かな気持ちで参道を歩きました。
特攻像「とこしえに」の由来
特攻機は、遂に帰って来ませんでした。
国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。
特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。
み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつゝ
りりしい姿を永遠に伝えたい心をこめて
あゝ
開聞の南に消えた勇士よ
この機体は、初等練習機として、航空自衛隊 防府北基地(山口県)で活躍していたそうですが、平成17年に用途廃止され、同年5月に知覧町が借り受けたものとのこと。
上映されている映像を見ていましたが、この時代は、本当に厳しい時代でした。
このゼロ戦は、昭和20年5月、鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、水深約35メートルのところに海没していたものを、知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものとのこと。
知覧特攻平和会館内での、写真撮影が可能な場所は、先ほどのエントランス部分と、このゼロ戦の展示室だけでしたが、結局、3時間弱の間、いろいろなところを巡りました。
若き特攻隊員の皆さまの遺書を読んでいると、甘ちゃんだった私の20歳の時とは全く違って、しっかりと大人で、立派で、死にたくないけど、家族を守るため、日本を守るために自分は散るのだと、本当に、堪えようとしても、涙が溢れてしまいました。
他にも、たくさんの貴重な写真を撮りましたが、アップし尽くすことが出来ません…。
この日は、午後から深夜にかけて暴風雨になり、知覧特攻平和会館を退散後に観光ができず、宿でゆっくりしていましたが、Webカメラでアビのすけを覗いてみたら、1階でゴソゴソ。
とにかく、アビのすけが元気にしていて、ホッ…、翌朝も早いので、早々と就寝しました。
そして、2日目、4/23(水)の朝は、朝5時過ぎに起床、6時にチェックアウトして、万世に向かうバスの発車時間まで、1時間ほど、知覧の街を散策。
霧雨が降り続き、何とも、厳かな雰囲気の中、歩きました。
そして、できれば行っておきたかった「富家食堂」も、外観だけですが、見ることができました。
この富家食堂は「ホタル館」とも呼ばれており、特攻の母と呼ばれた「鳥濱トメ」さんが女将をしていた食堂で、当時、検閲にかからない状態の遺書を預かり、家族の元に送り届けたりと、特攻隊員が最後にやりたいことを叶えてあげた場所とのこと。
早朝だったので、私は見学できませんでしたが、今は、特攻隊員の様々な遺品を展示している、資料館になっている場所です。
そして、知覧6時50分発のバスに乗り、乗り継ぎ地の加世田に7時30分に着いたのですが、そこから万世に行くバスが、1日に3本、2時間も待たなければ行けなかったので、約4.5kmの距離を歩き、8時30分頃に、万世特攻平和記念館の近くに到着。
開場が朝9時だったので、近くを散策していると、何やら、吹上浜海浜公園というものがあるので、行ってみました。
すると、またまた、吹上浜砂丘というのがあり、砂丘展望所があるとのことで、散策を継続。
途中から、こんな道になってきて、早朝の雨なので誰もおらず、途中に、まむし注意か何かの看板もあり、大丈夫かと不安になりつつ、歩いていたのですが…。
ようやっと展望所に辿り着き、景色が開けてはいたのですが、どんよりの天気だったので、ちょっと残念。
360°の動画を撮っていたら、なんと、1人のおじさんもこの場所にやって来て、少し話していると、なんと、この場所、鳥取県の鳥取砂丘、山形県の庄内砂丘と並び、日本三大砂丘とのことで、ビックリ。(満潮時なのか、まったく、砂丘には見えませんが…。)
こっちの方面を見ると、少しだけ、砂丘の感じもあり、潮が引くと、全面が砂丘になるのかな…。
後日、調べてみると、この吹上浜(吹上砂丘)は、南北約47kmにわたる、国内最長の砂丘だとのこと。
そんな名所だとは、まったく知らずに訪れたので、天気は悪かったけど、ラッキー、とても良い経験をさせて頂きました。
そして、日本三大砂丘の観光を終えた後は、念願の、陸軍最後の特攻基地「万世飛行場」の跡地に建てられた、「万世特攻平和祈念館」にやって来ました。
知覧と比べて、あまり知られていないので、ひっそりとしていましたが、しかし、やはり、厳かな雰囲気がありました。
万世でも、ずっと霧雨が振り続いており、お国のために散っていった皆さまの涙なのか…。
しかし、「後に続くを信ず」の言葉を残された結果、今の日本は、平和ボケをしてしまっていますが、私たちの祖父や父親世代が、戦後、一所懸命に頑張ってくれたおかげで、立派な日本になったので、英霊の皆さまも、我が身を散らせて日本を守った甲斐があったと、喜んで下さっているのではと思います。
この慰霊碑は、今より30年も前,特攻隊の慰霊顕彰を目的に建立され、旧町名の「万世」をも意味する「よろずよに」と刻銘されているとのこと。
沖縄へ偵察に向かった本機が、帰投中、敵機をかわすうち燃料切れになり、吹上浜沖に不時着したそうですが、住民に助けられて無事に帰隊したとのこと。
本当に、戦争って、悲惨です。
そして、万世特攻平和祈念館にて、1時間ちょっとの時間を過ごし、他、万世には何もなく、バスも数時間も待たなければならないので、また、約4.5kmの復路を歩き、加世田で1時間半ほどのバス待ちの時間があったので、マクドで時間を潰し、13時40分、加世田発のバスに乗り、鹿児島中央に14時30分頃に到着、そこから、寸暇を惜しんで、鹿児島市内を観光しました。
まずは、天文館で、揚立屋さんのさつま揚げや、行列ができていた蜂楽饅頭さんの饅頭を食べ、その足で、島津斉彬公を祀る、照國神社の鳥居だけを参りました。
12年前の5月に、鹿児島を訪れているのですが、その時に本殿は参拝したので、今回はなし…、とにかく、日が暮れそうだったので、一刻も早く、城山公園からの桜島を見たかったのです。
そして、城山公園に向かう道中、鹿児島の英雄、西郷さんにご挨拶。
ここから、約2kmの上り坂を登って行きます。
そして、この日は3万歩ほど歩いて、クタクタだったのですが、展望台にたどり着くと、景色がパッと開けたのですが、なんと、桜島の上半分が雲に包まれてて…。
でも、12年前に来た時に、しっかりと桜島を拝めているし、今回の一番の目的は、3ヶ所の特攻隊の記念館を巡ることだったので、仕方がないと、潔く諦めました。
そして、ホテルへ向かう道中に、鹿児島城(鶴丸城)を観光しました。
12年前に来た時は、NHK大河ドラマで、宮崎あおいさん主演の「篤姫」が放映された数年後で、今回も拝みましたが、当時も、天璋院篤姫像を見たり、島津斉彬公、西郷さんなどに、とても興味を持って観光したものです。
この日は、この後、天文館で「せんべろ」で芋焼酎を味わい、ホテルで就寝。
アビのすけは、この日はペットシッターさんに来てもらっていて、これは、ペットシッターさんが送って下さった写真や動画の中の1枚。
元気すぎるとのペットシッターさんからのLINEで、安心はしていたのですが、私がWebカメラで見た時は、ベットに潜り込んでいたのか、1回も姿を見ることができず、ちょっとだけ心配。
そして、最終日の4/24(木)は、なんと、最高の快晴となりました。
ちょっとゆっくり目にホテルをチェックアウトして、朝8時50分発のバスに乗るため、鹿児島中央駅に歩いて向かったのですが、気持ちが良すぎるくらいの最高の天気。
そして、鹿屋に向かうバスに乗り込んだのですが、なんと、途中、バスごとフェリーに乗り込み、思いかけず、最高の桜島が望めました。
この日、ちょっと早起きして、また、城山公園の展望台からの桜島を、見に行こうかとも思ったのですが、前日に歩き疲れていたので、断念したのですが、まさか、こんなに素晴らしい桜島が見れるとは。
そして、暫くすると、進行方向の右手に、なんと、遥か向こうに「開聞岳」を望むことができました。
知覧を飛び立った特攻隊員が、開聞岳を眺めながら、沖縄に向かい、また、開聞岳は薩摩半島の最南端にあるので、特攻隊員たちにとって、最後に目にする本土ですので、開聞岳を眺めながら、彼らは故郷を思い、別れを告げ、そして覚悟を決めて、アメリカの戦艦に体当たりしたと、伝えられているようです。
そして、フェリーを降りると、バスの車中から、噴火した桜島が見えました。
しかし、12年前は、ものすごく噴火をしていたので、今回はとても少なく、ちょっとビックリ。
参考までに、この写真は、12年前の平成25年5月14日の午前10時52分に撮った写真ですが、こんな感じで、毎日、ものすごく噴火をしていたので、今回は噴火度が少なくて、逆に驚きました。
ちなみに、当時は、ロシ子をお迎えして、1ヶ月と20日ほどのことで、鹿児島の写真は載せてませんが、ロシ子の様子はこんな感じでした.…、ちっちゃくて、めっちゃ、かわゆい。→ 「今日は1人でお留守番の、ロシアンブルーのロシ子です。」
そして、フェリーの時間も含め、2時間弱のバス乗車で、10時半過ぎに、海上自衛隊の鹿屋航空基地に到着しました。
椰子の木?があって、この快晴の天気も相まって、まさしく、日本本土の最南端の鹿児島、南国に来ているのを実感しました。
そして、海上自衛隊、鹿屋航空基地の敷地内にある、鹿屋航空基地史料館の玄関です。
鹿屋航空基地史料館に入館すると、目の前にど〜んと、桜島のステンドガラスが。
とてもとても美しく、特攻隊員たちの哀愁も感じられ、素晴らしい作品だと思います。
そして、館内に展示されている「零式艦上戦闘機」、通称、ゼロ戦。
平成4年に、2機の零戦が錦江湾と吹上浜の海底から引き揚げられ、ともに補う形で、1機の零戦に復元されたそうです。
鹿屋は、百田尚樹さんの映画「永遠の0」のロケ地で、鹿屋航空基地は、主人公の宮部久蔵が、特攻隊員として最後に出撃した場所として描かれているとのことで、私は、映画は見ていませんが、小説の「永遠の0」を読んで、涙、涙だったのたので、とても感慨深い場所でした。
そして、帰りの鹿児島空港に向かうバスの時間まで、少しあったので、鹿屋航空基地から約2km、徒歩で約20分の場所にある、「旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔」にも行って来ました。
特攻のため、鹿屋基地から沖縄へ飛び立った、908名の若き特攻隊員の御霊を祀るための慰霊塔です。
これにて、鹿児島、知覧・万世・鹿屋の各、特攻記念館を巡る旅は終わり、17時15分発の飛行機に乗るため、バスにて、鹿児島空港に向かいました。
鹿児島空港に着いて、今晩にはアビのすけに会えるなぁ〜と思いながら、午後4時15分頃に、Webカメラで自宅をチェックすると、アビのすけ、2階のベットのこの場所にいて、Webカメラを動かしたら、こっちを振り向いてくれました。
私がスマホで撮ると、なかなか、良い顔が撮れないのですが、なぜか、Webカメラだと、自然だからか、とても男前の写真が撮れる。
本当に、おっちょこちょいな男の子です。
そして、定刻通り、17時15分に鹿児島空港を離陸し、まもなく着陸という時、機内から、素晴らしい夕日が見れました。
逆光になって見にくいですが、夕日の少し右には、神戸と淡路島をつなぐ明石大橋も見えます。
良い旅の終わりに、最高の写真が撮れました。
そして、ほぼ定刻通り、18時30分の関空に着陸し、そこからダッシュで、神戸空港行きのベイシャトルに乗り込み、晩20時30分に家の前に到着。
家の門扉を開ける前に、Webカメラでアビのすけの様子をチェックしたら、2階のベットの上で寛いでいました。
やはり、Webカメラを動かすと、アビのすけが反応。
「さぁ、アビのすけ、今から1分後には会えるよ。ちょっと待っててね。」ということで、門扉を開けて、自宅のドアを開けると、アビのすけが待ち構えてくれていました。
これは、今日のアビのすけ君で、おやつを貰えるのを待っているところ。
残念ながら、当日、再会した時のアビのすけの写真を撮り忘れましたが、その日の晩は、とにかく、ずっと鳴き続けていて、私にも、いつも以上にスリスリしてくれて、「お父さん、どこ行ってたんや。寂しかったやないか。」って、文句を言っていたのかも知れません。
アビのすけ、本当にかわいい奴ですし、ロシ子とアビのすけに巡り合えて、私は。本当に幸せ者だと思っています。
ということで、今回は、鹿児島にて、色々と考えさせられ、とても貴重な経験をさせて頂きました。
また、来年か再来年には、東京に行くと思うので、その時には、靖国神社に行って、久しぶりに、遊就館を訪れてみたいと思っています。