今日は、最愛のロシ子ちゃんの32回目の月命日でした。
ロシ子が亡くなって2年と8ヵ月、あと4ヶ月もすれば、ロシ子がいなくなって3年も経とうとしてるなんて、ロシ子がいないことに慣れはしたけど、それでも、写真を見るたび、悲しい気持ちに変わりはありません。
今、私は、アビのすけがいてくれることによって、満足した心の潤いのある生活ができているけれど、でも、もし、ロシ子がいてくれたのであれば、もっともっと、心豊かであったと思う。
ロシ子を失った悲しみは、やっぱり、消えそうにもありません。
いつ見ても、本当にかわいい、女の子らしい、穏やかで控えめだったロシ子のことが、思い浮かばれてきます。
もっともっと、可愛がってあげれば良かった…、もっともっと、大事にしてあげれば良かった…。
私はなにごとにおいても、「愚者は経験に学ぶ」くちで、失敗しないと気付かない人間で、ロシ子とは楽しい日々を過ごせたのだけど、本当に、後悔ばかりです。
今朝も、ロシ子の灰が眠るこの場所に、ランニングして来ました。
間もなく3月だけど、まだまだ寒い。
でも、ロシ子は天国で、暖かく過ごしてくれていると思う。
本当に、叶うならば、ロシ子に会いたいよ。
先日、たまたま、ロシアンブルーの愛猫ちゃんを亡くした方のTwitterを見て、いつ死んでもおかしくない中で、会社に行って、帰って来たら亡くなっていたって。
その方も、最期の死に目に会えなくって悲しかっただろうけど、私的には、その猫ちゃんが、かわいそうで、かわいそうで…。
勤めてる人なら、それも、やむを得ないことなんだろうけど、ロシアンブルーって、本当にがまん強くって、控えめで、飼主思いの猫だから、迷惑をかけないよう、ひっそりと一人で亡くなって行ったんだろうと思うと、本当にかわいそうに思えた。
私の場合、ロシ子は苦しみながら亡くなったので、ロシ子には本当に申し訳ない最期を迎えさせてしまったけど、私としては、ロシ子の最期を看取れたので、良かったと思っている。
もし、私の外出中に亡くなってでもいたら、今以上に、私はロシ子に対して、後悔ばかりの想いを背負っていたことだと思う。
そんなとこも、ロシ子の優しい気遣いがあったのかと、ロシ子に対しては、すべての意味で、感謝をしています。
ロシ子、本当にありがとう。
そして、我が家のかわいいアビのすけくん。
もう、今では、アビのすけがかわいくて、かわいくて、もう、私の心の支え中の支えになってくれています。
これは、おとといの夕方だったかな、晩ご飯をくれって、パソコンに向かっている私の顔面を、凝視し続けてる様子。
私が抱き付くと嫌がるくせに、日中は、デスクに向かって座っている私の太ももの上に乗って、気持ち良さそうに寝ていて。
何より、私のところに自らやって来て、私に接してくれるその気持ちが、本当にうれしい。
そして、その2~3時間後、今度は、就寝前のおやつのちゅ~るをくれって、また、私の顔面を凝視し続けていたアビのすけ。
アビのすけは本当に食べることが大好きで、私がパソコンに集中していると、もらえるまで、ずっと諦めずに凝視し続ける貪欲さ、集中力と言うか、めげない気持ちは大したもの。
本当にかわいくて、もし、今、アビのすけがいなかったら、私はどれだけ、暗い生活を送っているかと思ってしまう。
それほど、アビのすけは私には、絶対に欠かせない存在なのです。
そしてこれは、今日のお昼過ぎ、久しぶりに、アビのすけに皮膚炎ができてないか、チェックしました。
最後に皮膚炎の薬の軟膏を塗ったのは、2週間ほど前で、その時は、ほぼほぼ皮膚炎が治っているとは言え、ほんの少しかさぶたがあった状態だったのですが、今日はもう、お肌がさらさらで、皮膚炎のかけらもありませんでした。
その後は、ブログに近況をアップするための写真を撮ったのですが、もう、拘束されるのが大嫌いだから、固まってる状態で。
と言うか、おとなしくしている感じですが、隙をついて逃げようと間合いを測っている状態で、そんなアビのすけの内心が見え見えなので、私は心の中で笑っていて。
そして、絶対に脱出されまいと、がんじがらめにしてやると、本人は最大限に嫌がっているのですが、この通り、かわいく鳴いてくれて、私はめっちゃ癒されていたのです。
今、このブログを書いている最中も、私の太ももの上で毛づくろいをしているかと思ったら、気持ち良さそうに寝息を立てていて、そんな姿を見ると、本当に幸せな気持ちにならせてくれて、アビのすけがいてくれて、私は本当に感謝しているのです。
ロシ子に出会えて、アビのすけに出会えて、私は本当に幸せ者です。
ロシ子、天国で健やかにね、アビのすけ、健康で長生きしてくれよ。