これは、ロシ子が亡くなる1ヶ月と10日前の5/15(金)の朝8時半過ぎ…、ロシ子が1階にいなくて、Webカメラで2階を探しても見つからなかったから、2階に上がってロシ子を探したら、こんな所にいたんだ…、ロシ子、どこに行ったのか心配したんだぞ…。
ロシ子が亡くなって42日、普段はピックアップした良い顔のロシ子の写真しか見てないので、私も元気を取り戻しているのですが、今日のブログにアップする為のまだ整理できてなかった写真を見ていたら、また涙が溢れてしまった…。
良い顔の写真は良いのだけど、記録の為に吐いてしまった写真とかもたくさん撮ってあって、吐いた後のロシ子の表情を見ていると、明らかに以前の吐いた後の表情ではなくて、しんどそうな顔をしていて…。
私もロシ子の様子がおかしいなとは思っていたのですが、どうしてあげる事もできなくて、今更ながら、本当にロシ子に可哀そうな思いをさせてしまった事に対して、懺悔の気持ちばかりになってしまいました。(涙)
本当に、ロシ子がいなくなった事が信じられない…、普段は、ロシ子と一緒に暮らしていた7年半が、まるでずっと昔の幻のように感じるのだけど、こんな写真を見ると、ついこの前の様な気がして、こんなに元気そうにしているのに、なんで今、ロシ子がいないんだろうって、気持ちが落ち込んでしまう…。
ロシ子がお腹を空かせてると思って、1階にロシ子のご飯を取りに行って、それでロシ子に食べさせてあげたら、ロシ子、食べてくれて…、ロシ子は穏やかな、本当にかわいい子だったよ…。
これは、その翌日の5/16(土)の朝8時前…、寒さがぶり返してストーブを付けていたら、ロシ子が来てくれて…。
私はロシ子の後頭部が大好きで、何回も何回も撫でてあげたんだった…、ロシ子は本当にかわいい後頭部をしていた…、ロシ子は元気にしてるかなぁ~…、会いたくて仕方がない…。
今日は、ロシ子の六七日(むなぬか)でした…、変成王(弥勒菩薩)の裁きを受ける日…、かわいいロシ子が天国に行けない訳がない…。
昨日でちゅ~るがなくなって、ロシ子の為に買っておいた新しいちゅ~る2箱を開けて、ロシ子はとにかくちゅ~るが大好きだったから、いっぱい、出してあげた。
今日も、晩9時頃に仕事を終え、9時半からランニングに出て、ロシ子の灰を流した住吉川の上流までロシ子に会いに行って来て、晩11時から晩ご飯を食べ、ロシ子の法要のハイボールを飲んで、ちょっと酔いながら書いているけど、今日は悲しい…。
夕方にロシ子のしんどそうな写真を見てしまってから、私の気持ちはどんよりと落ち込んでしまって、元気が出ない…。
今日、Yahoo!ニュースで、京都のALSの嘱託殺人のニュースを見て、仙台の医者の方は、肺疾患で苦しみながら亡くなっていく高齢者をたくさん看取ってきたそうで、ロシ子も肺疾患で最後は呼吸ができずに苦しみながら私の腕の中で絶命していった姿を見た私からすると、確かにあの人は悪意があったように感じたけど、肺疾患で呼吸ができずに苦しみながら死んで行く人を何人も見ていると、救ってあげたい、楽に死なせてあげたいって思うようになるのが分かる気がする。
こんな事を言うと、批判する人もいるかも知れないけど、苦しみながら死んでいく姿を見るのは、それが猫であっても飼主は本当に苦しくて、それが人間なら尚更だと思う。
嘱託殺人被害者の知人女性が独白する「生き地獄」 安楽死はどう議論すべきか
Twitterとかを見ていても、可哀そうな猫ちゃんを救ってあげてる人がたくさんいて、本当に心温まるし、立派だと思うし、いつか自分も役に立ちたいと思っている…、悪い人間に酷い事をされた猫ちゃんたちもいて、そんな酷い事をする人が信じられないし、命なんだから大切にしてあげないといけない…、また、あらためて、書きたい…。
ロシ子、そっちの世界で、苦痛もなく、のんびりと平和にマイペースで過ごすんだよ…、ロシ子に対する思いはたくさんあります…、また書きます…、今日は乱文でした…、ロシ子、ごめん…。
お疲れ様です、私も愛猫が亡くなって二ヶ月程ですが今も亡くなる30分前位の苦しむ姿が忘れられません
病院通いも猫にとって苦痛だったのかなと思ったり、何が正しくて、間違っているのか分からないこともありました。猫が喋れたらどんなにいいことかと思ったり...
でもきっとここで生まれて生活を出来た事を良かったと思ってくれていたら嬉しいです。
ロシ子ちゃんもパパさんに感謝の気持ちで旅立ったとおもいます、ユーチューブやブログを見ると一目瞭然です
お互い悲しみを共有出来ればと思います
モモさん、こんばんわ。コメントを下さいまして、有難うございます。
愛猫ちゃんも苦しんで亡くなったんですか…、可哀そうに…。(涙)
おっしゃる通り、猫はしゃべってくれないですし、我慢をする動物なので、私も後悔の気持ちばかりです。
あの時、ロシ子はこんな風に思ってたんじゃないか、しんどかったんじゃないかって、考え始めると、何もできなくなってしまいます。
私の場合も、思い出すと吐きそうになってしまうくらい、震えが来るくらい、ロシ子を苦しませて死なせてしまったので、日頃は思い出さないようにしていますが、違う事を考えていても、ロシ子の可哀そうな場面に行き着いてしまって、気持ちが落ち込んでしまいます。
苦しんで死んでなければ、あるいは、苦しんで死んだ場面に遭遇していなければ、私もこんな悲しみや苦しみを味わっていないかも知れませんが、でも、ロシ子の生きざまをしっかりと私が受け止めて、悲しみも苦しみもすべて引き受けて生きて行こうと思っています。
私は死ぬまで、ロシ子の死を悲しみ続けてやろうと思っています。
私だけでも、一生、ロシ子の事を心に抱いて、ロシ子がいない寂しさを感じて、ロシ子の事を供養して行こうと思っています。
すいません。また、私の事ばかり書いてしまいました。
モモさんの悲しみも深いものと思いますが、私が言えるような立場ではありませんが、ずっと愛猫ちゃんの事を思い続けてあげて下さい。
よろしくお願いいたします。